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摩耶(まや)は、日本海軍の重巡洋艦。一等巡洋艦(重巡洋艦)高雄型の4番艦である〔昭和3年11月7日付 海軍内令 第313号。〕〔#聯合艦隊軍艦銘銘伝110頁〕〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.1『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|一等|高雄型|高雄、愛宕、鳥海、摩耶』〕。川崎造船所(現在の川崎重工業)神戸造船所にて起工〔#昭和12年12月1日現在艦船要目公表範囲p.4『摩耶|一等巡洋艦|(艦諸元略)|神戸川崎造船所|3-12-4|5-11-8|7-6-30|(装備略)』〕。艦名は兵庫県神戸市の摩耶山にちなんで命名された〔日本海軍の命名慣例については船名#日本艦船の命名慣例を参照。〕。レイテ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没、戦艦武蔵に救助された乗組員が翌日の武蔵の沈没を体験したことで知られている。 == 建造経緯 == 妙高型重巡洋艦を完成させた日本海軍は、ワシントン海軍軍縮条約で制限されている主力艦を補うため、更なる重巡洋艦の建造に着手する。藤本喜久雄造船官の設計の元、高雄型の4番艦〔として起工されたのが摩耶であった。なお当時、経済恐慌の影響で川崎造船所が破産寸前であり、建艦体制維持の観点から海軍が介入、摩耶の発注が行なわれた〔#池田 朝日p.17〕。これにより起工が遅れてしまったとされている。 1928年(昭和3年)9月11日、建造予定の一等巡洋艦1隻、砲艦2隻、駆逐艦2隻に、それぞれ摩耶〔#達昭和3年9月p.15『達第百三十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和三年度ニ於テ建造ノ一等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和三年九月十一日 海軍大臣 岡田啓介|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 摩耶(マヤ)』〕、二等砲艦熱海型「熱海」と二見〔#達昭和3年9月pp.15-16『達第百三十二號 艦艇製造費ヲ以テ昭和三年度ニ於テ建造ノ軍艦竝驅逐艦ニ左ノ通命名ス|昭和三年九月十一日 海軍大臣 岡田啓介|艦種|艦名|建造所|二等砲艦|熱海(アタミ)|三井物産株式會社造船部玉工場|同|二見(フタミ)|株式會社藤永田造船所|一等驅逐艦|天霧(アマギリ)|株式會社東京石川島造船所|同|朝霧(アサギリ)|佐世保海軍工廠』〕、一等駆逐艦吹雪型天霧と朝霧の艦名が与えられた〔。 一等巡洋艦摩耶は同年12月4日神戸川崎造船所で起工し〔「第2525号 7.7.5摩耶」p.2〕、1930年(昭和5年)11月8日、3万人の群集が見守るなかで進水〔#池田 朝日p.12〕、1932年(昭和7年)6月30日竣工した〔。高雄型重巡洋艦の50口径三年式二号二〇センチ砲は仰角70度で対空射撃が可能だったが、摩耶のみ妙高型と同じ55度であった〔#池田 朝日p.39〕。1932年(昭和7年)6月30日竣工〔。姉妹艦鳥海も同じ日に竣工している〔。高雄型重巡4隻は第二艦隊・第四戦隊を形成し、横須賀を母港とした〔#池田 朝日p.45〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「摩耶 (重巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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